百年前の「今」を生きる
私たちは100年前の出来事を「終わったこと」ととらえ、その「歴史的な意義」は歴史家や政治家が理解しているだろうという見通しで「日々の自分のための生活」に追われている。問題は彼らがなんとかするだろうという感覚で。。
「予定や欲望が阻害されるのは困る」
これは全ての人の本音だと思うが、人生のBプランを設定するための心の準備は誰もしてこなかったはずだ。
経験による言葉を使えるアドバイザーはいない。
全ての年代が、この状況で道を切り開いていく日々は本当にキツイのは確かで、「もういい加減、いいだろう!」という感覚も膨らんでくる。
歴史に残る「2020年」「2021年」が過去の出来事として語られる子孫の時代に「私たちの振る舞い」がどのように語られるのだろうか?
このことについて示唆的なドラマがあった。NHKドラマ『流行感冒』がそれだ。もしよろしければオンデマンドでご覧ください。
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