胎動
何人もの「傍若無人」な「間違ったリーダー達」が崩れて行く様子を見てきた。
大学の名前まで変えてしまった都知事。そして総理大臣。
「民意」という言葉はそんなリーダー達からみた「動かない人のその程度の考え」として処理されてきたのだろうが、甘く見てはいけない。揺れるのだ。人の心は。
新たなリーダーが言葉を尽くし、態度を示し、顔を見せることで「揺れる心の持ち主達(国民)」は無言の姿勢を止め、匿名の選挙という機会で言葉を発するのだ。
ステイホームの為に血管年齢が加速的に衰え、代謝の悪くなった顔の世代が動かす「この国のまつりごと」。
「変えなければいけないな、この人と、この人は。」という気持ちは国民に既に芽生えている。
子供のころ、親が金の事を話すときや、電話口で仕事相手と話すときに聞こえて来た「仮面をつけた人の声」に強烈な嫌悪感を持ったことを人は本当に忘れたわけではない。
社会によって選ばされた現実の時間を過すうちに、その怒りのような感情を引き出しの奥の箱にしまっておいただけなのだ。
あのときに感じた気持ちだ、と気付いた時、その人は行動を起こす。「好きじゃない!こんなの!」という気持ちを表明するために。昔より賢く、そして周到に。
今は「無言のうちに」時間が流れているようにみえるが、いたるところで「声を挙げるための胎動」が感じられる。
今日はその胎動がさらに大きくなる「記念日」なのだ。
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